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日記

カタルシスを発見・発明したプロダクト

優れたプロダクトにはカタルシスの発見・発明があったのではないか、という仮説。

そもそも「カタルシス」とは

アリストテレスの「詩学」に用いられた語。悲劇の与える恐れや憐れみの情緒を観客が味わうことによって、日ごろ心に鬱積(うっせき)していたそれらの感情を放出させ、心を軽快にすること。浄化。

カタルシスとは – コトバンク

ざっくり言ってしまえば「もやもや」や「怒り」からの「爽快感」。たとえば以下のような感じ。

  1. 召使いにいじめられていたシンデレラ。(気分↓)
  2. あるとき魔法使いにガラスの靴をプレゼントされる。(気分↑)
  3. 0時の鐘が鳴り、魔法は解けてたシンデレラは元のひっそりとした生活に逆戻り。(気分↓↓)
  4. 靴を手がかりに王子が国中を探し回ってくれたおかげで、シンデレラは王子と再会。二人は結婚する。(気分↑↑↑)

最近、新海誠監督が「天気の子」のプロットを公開していて、感情をグラフで設計していたのが印象的だった。


ここからが本題。

これまでプロダクト開発のプロセスは「課題に対しての解決策」というフォーマットで整理されてきた。
一方で冒頭に書いた通り、一部の優れたプロダクトには必ずしもそのフォーマットではない、言ってみれば「カタルシスの発見・発明」があったのではないか、という仮説。

それまで感じていなかったものが「鬱積」として定義・発見され、それらを解決するために新たな「快感」が発明されたのではないだろうか。

そういった視点で、世の中のプロダクトを分析してみたい。

発見された鬱積発明された快感
Facebook友達の交友関係を知れないと不安になる。
知り合いと「友達」になりたい。
「友達申請」が許可されると嬉しい。
「友達」が多いと安心する。
Twitter気になるあの人の「いま何をしているか」がわからないと不安更新があると安心する。
同時性の演出によって安心する。
LINEメッセージが読まれているかがわからないと不安になる。メッセージが読まれると既読になり安心する
mixi誰に自分の発信が読まれているか知りたい。アクセスがあって足あとが付く嬉しい
メルカリいらないものに囲まれた生活は嫌だ。でも捨てるのはもったいない。すぐに出品できて、すぐに買い取ってもらえる
まだまだありそう。

例えば上記の3サービスは一世を風靡した(している)サービスだ。

その成功要因は「デバイスの変遷タイミングで他社に先駆けてリリースすることができ、ネットワーク効果を生み出せたから」と、ビジネス視点では整理されがちだ。もちろんそれは正しい。

しかし、デバイスの変遷に人生で遭遇できる回数は限られている。ゲームチェンジの機会を逃さないのは大切だが、それを待っているだけ、というわけには行かない。

一方、ユーザーの感情面に着目してみると「それまで顕在化していなかったストレッサーを発見し、解決する仕組みを発明した = カタルシスを発見・発明した」という点においても、これらのサービスは共通していそうだ。

また、必ずしも「デバイスの変遷」がカタルシスのもとになる「新たなストレッサー」の発見につながっているわけではない。
どちらかというと世の中の機微な気運の変化に起因していそうだ。

「デバイスの変遷」と「気運の変化」。どちらも的確に捉えて波に乗ることは難しい。

両者を比較すると、前者はとりわけ初期フェーズは専門性が参入障壁になることが多い。
多くの人は「ブロックチェーンやAIに可能性がありそうだ」ということはわかっている。しかしそれらは未だ高い専門性を身に着けなければ使えない技術だ。仮に僕が一朝一夕でサービスをつくり、世に価値を問うてみる、ということは難しい。

一方、後者は僕やあなたしか知らない場合もある。
繰り返しになるが、気運を捉えること自体も難しい。しかし、ノーコードによる開発方法や仮説検証のノウハウが充実してきた現在、リリースして仮説検証を行うコストは比較的下がっている。つまり、トライとリターンのレバレッジはどんどん上がっているのだ。

人間は常に新たな刺激を求める生き物だ。
だからこそ「新たなカタルシスを発見し解決策を発明すること」は、既に多くのサービスがリリースされた現在でも、まだまだ可能性があるように思う。

「新しいカタルシス」は価値観のパラダイムシフトによって醸成される。2020年から2022年くらいまでは「新たなストレッサー探し」をしてみても良いかも知れない。