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日記

カタルシスとプロダクト

優れたプロダクトにはカタルシスの発見・発明があったのではないか、という仮説。

そもそも「カタルシス」とは

アリストテレスの「詩学」に用いられた語。悲劇の与える恐れや憐れみの情緒を観客が味わうことによって、日ごろ心に鬱積(うっせき)していたそれらの感情を放出させ、心を軽快にすること。浄化。

カタルシスとは – コトバンク

ざっくり言ってしまえば「もやもや」や「怒り」からの「爽快感」です。たとえば以下のような感じ。

シンデレラでわかる!カタルシス効果

  1. 義姉妹にいじめられているシンデレラ。(気分↓)
  2. あるとき魔法使いにガラスの靴をプレゼントされる。(気分↑)
  3. 0時の鐘が鳴り、魔法は解けてたシンデレラは元の生活に逆戻り。(気分↓↓)
  4. 靴を手がかりに王子が国中を探し回ってくれたおかげで、シンデレラは王子と再会。二人は結婚する。(気分↑↑↑)

余談ですがシンデレラには「義姉妹が凄惨な目に合う結末」が複数パターン存在します。
これは「王子に再開しつつ義姉妹はひどい目に合う」という構造が、カタルシスを強化(=爽快感の強化)しているんじゃないかと思います。

「天気の子」について

ちょっと近いかもしれない話で、新海誠監督が「天気の子」のプロットを公開しており、ストーリー構成を感情のグラフで設計していたのが印象的でした。

こうしてみると「Bパートまでは小刻みに上げていき、C〜Dパートで乱高下させ、EPではあげて終わる(=カタルシスを解放する)」という構造になっていることがわかりますね。

これまた余談ですが、結末を知っていると「EPが感情の最高潮ではない点」が理解できます。


プロダクトとカタルシス

ここからが本題。

これまでプロダクト開発のプロセスは「課題に対しての解決策」というフォーマットで整理されてきました。

一方で冒頭に書いた通り、一部の優れたプロダクトには「カタルシス(=鬱積と爽快感)の発見・発明」があったのではないか、という仮説です。

プロダクト内の「感情」に注目する

例えば以下ののサービスは一世を風靡した(している)サービスです。

これらの成功要因は「デバイスの変遷タイミングで他社に先駆けてリリースすることができ、ネットワーク効果を生み出せたから」と、ビジネス視点で整理されがち。もちろんそれは正しいです。

一方で、ユーザーの感情面に着目し「発見された鬱積」と「発明された爽快」という整理の仕方をしてみると、いわゆる「ハマる仕掛け」とか「選ばれる仕掛け」に近づけるのではないでしょうか。

サービス名発見された鬱積発明された快感
Facebook友達の交友関係を知れないと不安になる。
知り合いと「友達」になりたい。
「友達申請」が許可されると嬉しい。
「友達」が多いと安心する。
Twitter気になるあの人の「いま何をしているか」がわからないと不安更新があると安心する。
同時性の演出によって安心する。
LINEメッセージが読まれているかがわからないと不安になる。メッセージが読まれると既読になり安心する
mixi誰に自分の発信が読まれているか知りたい。アクセスがあって足あとが付く嬉しい
メルカリいらないものに囲まれた生活は嫌だ。
でも捨てるのはもったいない。損はしたくない。
すぐに出品できて、すぐに買い取ってもらえる
まだまだありそう。

鬱積と爽快感

このように世の中に浸透しているサービスについて、ユーザーの感情面に着目してみると「それまで顕在化していなかった鬱積を発見し、快感に昇華する仕組みを発明した = カタルシスを発見・発明した」という点において共通していそうです。

カタルシスは尽きない

人間は常に新たな刺激を求める生き物です。
だからこそ「新たなカタルシスを発見し、解決策を発明すること」は、既に多くのサービスがリリースされた現在でも、まだまだ可能性があるように思えます。

テレイグジスタンスやARなど、デバイスの劇的な変化が起こると予想されるまでの数年間は「日常に潜む新たな鬱積探し」をしてみても良いかも知れません。