ルールのコスト

stack of light beige towels on white stool
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「見た目の印象通り、タオルの種類は統一して、折り目を揃えて縦に並べて収納していました」
誰か「一緒に暮らす人は大変ですね。喧嘩したりしませんか?」
「はい。喧嘩しました。なので『中身が見えなくて見た目が良い無印良品のカゴ』に、畳まずに放り込む運用にしました」
誰か 【大ウケ】*1

という話が僕のアイスブレイクの持ちネタでして、本投稿はそういう話です。

*1 自己評価。諸説ある。


先に自分の立場を明らかにしておくと、僕はリバタリアニズム志向なので「基本的にルールは少なければ少ないほうが良い。究極的にはないほうが良い」という立場です。

ですが僕自身、不本意ながらチームで仕事をするときはルールに頼ることもあります。(なのでこの投稿は自戒でもあります)

また、実は多くの人はルールをつくることが好きだったりしませんか?
ルールをつくると自分が思った通りの行動を多くの人が取ってくれるのです。これは気持ちの良いことです。
気持ちの良いことはやめられません。なのでルールは基本的に増え続けます。

ルールはタダじゃない

ルールを運用するためには以下のコストが発生します。

  • 設計コスト
  • 各自が守るコスト
  • 各自に守らせるコスト
  • 実態にあっているかを確認するコスト

それら諸々のルール運用コストを各ロールのメンバーに支払ってもらえていれば、 ルールが守られている状態と言えます。

であれば、ルール違反者は「ルールに対するコストが未払いの人」です。そして未払いの理由は以下のようなことが考えられます。

  1. 故意に支払わなかった( = 守らなかった)
  2. 支払い能力を超えていた( = 守れなかった)

1に関しては個人のパーソナリティが問題な気がしますので、ここでは置いておきます。一方、ルールは増えてく傾向にあり、いつの間にかルールを守りにくくなってしまう以上、2は構造的な問題です。

ルールの運用コストを支払う、という考え方

「ルールに対する支払い能力」と言われてもピンとこないかもしれませんが、本質は「物品に対する支払い能力」と同じです。

例えば石油王と僕とでは「金銭」という原資に雲泥の差があるため、買えるもの / 量には違いや差があります。これは自明であり、わかりやすい話です。

では「ルールの運用コストに対する支払い能力」はどうでしょうか?
僕はこれも「個人によって差がある」と考えています。
なぜならばルールを守る際の原資となる「注意力」などには、個人差・能力差があるからです。

ルールを守らないことの全てを安易に正当化するつもりはありません。
ですが、ルールが多い / 複雑 / あいまいな状況で違反が多い場合、ルールの運用コストが個人の能力を超えている可能性が高いです。

「いつの間にか守れている」を目指す

ルールの運用性を上げる場合、取りうる方向性は大きく分けて以下が考えられます。

  1. 個人の履行率を上げる
  2. ルールの運用コストを下げる( = 守りやすくする)
  3. 運用対象となるルールを減らす

リバタリアンな僕がおすすめしたいのは、もちろん2と3です。
さらに方向性を絞り「いつの間にか気持ちよく守れている状態」を目指すべきです。

個人の伸びをアテにしない

僕はルールの運用に関して、個人の成長や努力には頼りません。なので1は選択肢から外れます。
自分自身がコントロールできない要素は極力減らしたいからです。

また、1の方向性を進める途上で、期待値に達していない個人の能力差を、どこかで誰かが埋めなければいけません。そういったフォローがセットでなければこの方向性は機能しないでしょう。

加えて、この方針のもとでは「ルールを守らせるために新たなルールをつくる」ということも起きます。

経験則ですが、1の方向性はより苦しい状況に作り、誰かを恨む結果にしかなりません。

閑話休題:僕のタオル管理について

僕はタオルの管理について一家言のあるタイプです。

冒頭に書いたように、タオルの種類は統一して、折り目を揃えて縦に並べて収納することは、僕が一人暮らしをするなかでは、体に染みついた習慣であってルールではありませんでした。

しかし、他者と共同生活をする上で「タオルが片付いている気持ちよさ」は譲ることができなかったので、「ルール」として他者に守ってもらうことになりました。

ルールの運用が始まり、何度かの喧嘩を経験します。

喧嘩を経て、僕は「タオルを畳むことや整然と並んでいる風景が好きなわけではない。視界に入って際に散らかっているように見えなければ良いのだ」と気づきます。

そこに気づいてから「視界に入ってもストレスではないカゴに畳まずに放り込む」という運用に落ち着きました。

引き続き「タオルをかごに入れる」というルールはあります。
しかし「タオルは四つ折りにして、山折になった辺を外側に、かつ、辺の数が多い方を下向きに右から順に入れる」に比べて、だいぶ運用コストは下がりました。

また、洗濯完了後の仕分け作業の中で、タオルを取り出した際に「視界に入ってもストレスではないカゴ」に放り込むことは、タオル管理において最小コストのアクションでもあります。

結果的にルールを意識をすることなく、ルールが守れている状態になるのです。

まとめ

本題に戻って締めます。ルールに関する前提は以下のように考えています。

  1. ルールの運用にはコストがかかる
  2. ルールに対して払えるコストは個人差がある

運用性を上げるアプローチ

上記のルールに関する前提をもとに運用性を上げるアプローチも考えられるかと思っています。

A. ルール自体を減らし、ひとつあたりの運用コストを下げる

最も運用コストが低い状態になっていれば、ルールの運用コストの支払い能力が低めの人でも安心です。大抵の場合、僕自身がこの人にあたります。

B. いつの間にか期待値に導かれていく仕組みを整備する

別記事ですが例えばこれ

最後に

「ルール違反」を個人の問題として捉えると、違反者を責めて終わりです。

建設的なアクションにつなげるためには「そももそ守るべきルールだったか」「ルールの運用に問題がなかったか」という視点に立つことが重要です。

仕組み(ルール)を恨んで人を憎まず。
なぜなら守れるルールの量や精度は個人よって差があるのですから。